ヒイロは何事にも応じない強い意志と信念を持ってドアの間に立つ。この先に何が待ち構えていようと雄雄しく立ち向かえるようにだ。
一世一代の大勝負の前ではいかなる者でも隠し切れない動揺が、表には出ないものの内側で燻っている。
一つ深呼吸をした。
粗末と言っても良い軽い扉を開いて内側へと歩を進める。その先には………。
「ヒイローっ」
語尾にハートが三つ四つ付きそうな勢いでデュオはヒイロを迎え入れた。ヒイロが家に上がってくるなど何ヶ月ぶりだろうか。仕事では比較的ブッキングが多く顔を合わせる機会自体は少なくないとは思うがプライベートで会うとなると結構なハプニングだ。
デュオは満面の笑顔でヒイロをリビングへと誘う。『会いたい』等とわざわざ言ってくれた彼にはお茶の一つでも出さなくてはいけないだろう。無言のままソファに座った彼に、ちょっと待っててな、と言い置いてキッチンへと歩いた。
最近は昔よりずっと平和な仕事ばかりで、ヒイロとすると言っても危険なことはほとんどない。つまらないと言える血や硝煙とは無縁の世界に慣れてくると何故か逆に人が恋しくなる…デュオはそんなことを思っていた。
(余裕があるって事かな?)
そうなるとデュオの気持ちは止め処が無く決まった場所を求めて流れ始める。
ヒイロ。
大好きだー。
意味なんて何もないんだー!
馬鹿丸出しと言われても、ヒイロから好意が返ってこなくても、デュオはそんなのお構いなしで尻尾を振ることを覚えていた。好きなモノがあるのは幸せだと言うのが結論。
「アイスコーヒー。出来合いだけど良いよな?」
ヒイロの分と自分の分を机に置いて向かいの場所に座る。デュオの部屋にはまともな椅子は二人掛けのソファ位のもので後は適当に床に座るのがスタイルだ。だからコーヒーを机にちゃんと置くと言うのもちょっと変だと思い直したのかデュオは自分の分だけ床に置く。
「?」
ヒイロが眉間に皺を寄せたのを見てデュオも真似をした。
「あ。悪ぃ。癖でさ」
行儀が悪いと思われたのかな、とデュオは思ったがだからと言って直す気はない。にこーと笑ってごまかした。
「………」
ヒイロが何かを言おうとする。
デュオは物珍しい動物でも見るようにキラキラと目を輝かせて見つめる。
そのたびにヒイロは言いよどんだ。
「……ヒイロ?」
そりゃあ、お世辞にも綺麗とは言いがたい床だが別に死ぬほどではない。しかしヒイロはコーヒーに手をつけるでもなく寛ぐでもなく又デュオの様子に文句を言うでもなくこちらを見ていた。少しおかしいと思うのに十分もかからない。
「なんか、言いにくい用事な訳…?」
ヒイロが任務において言葉を濁すことがあるとしたら何だろう?
最悪の事ばかり想像されてしまって背中が寒い。でも、今日はオフで普通に仕事の話ではないはずだった。
そうなればヒイロがデュオに話しかける話のネタなどデュオにわかるはずも無く、デュオは辛抱強く次の言葉を待つ。
「……なぁ?」
床に座って卓袱台程度の高さの机に肘を突き自然と上目遣いになりながらデュオは聞き返した。
「ヒイロさん?」
「デュオ」
何度目かの説得でヒイロはやっと口を開く。一言名前を呼ばれてデュオはそれだけで嬉しそうにした。
「…………誕生日、おめでとう………」
は?
と声に出なかっただけ良かった。
誕生日って何だっけ?ではなく俺様に誕生日なんてあったっけ?いや、生まれた日はあるだろうけど何時だったっけ?今日って何日?っていうか何事だ?
目をぱちくりとするとヒイロはまるで申し訳ないことでも言っているかのように目を伏せた。
「……お前は何をしても笑っているから、何をしたら良いのか判らなかった。だから、本人から希望を聞いたほうが早いかと思って出向かせてもらった」
棒読みの台詞は照れ隠しだという事は辛うじて分かる。
でも内容が内容でデュオは口をぱくぱくした。
「た、誕生日…?」
声が上ずっているかもしれないと思って隠すように口に手を当てる。そういえば凄く凄く前に建前上に作った“生年月日”とかいうのに今日を書いたか…?
そうだ。
ヒイロを追って学校に入った時に書いた書類にあったような気がする。
デュオはそこまで考えて何とか手を床に置いた。
「………ぅあー。俺も全然忘れてた」
そう言葉にすれば、心にじんわりと温かいものが溢れてくる。そうか。誕生日が何だということではなく、誰かが自分の事を考えてくれるきっかけとしてそういう記念日があるんだなと気付く。何時もだったら言えない心遣いを感謝を生まれた日だとかそんなものにかこつけて言うのか、と。
「よりによってヒイロかぁ…」
デュオは嬉しくて胸につまったものをゆっくりと吐き出した。それでも重くて心地いい空気は肺の中をいっぱいに満たす。
「……カトルもメールを送っているはずだが」
デュオの驚きようにヒイロは何故か嬉しそうに(恐らく)付け足した。
「あー。俺、今日、メールまだ見てねぇや」
朝からヒイロ様歓迎ムードで一色だったのだ。これでも部屋を片付けたりした。
「……そうか」
明らさまにヒイロが嬉しそうな顔をする。デュオは不思議に思ったが敢えて触れなかった。
「あ、えっと、あ。なんてーの?えー。あ、ありがとう?かな?」
デュオは照れ照れと頬を赤くして頭を掻く。なんとか返事はいったものの本題は忘れていてその次が続かなかった。ヒイロは溜息をついて繰り返す。
「……礼はいい」
まだ何もあげてないし、と呟いた。
「だから、何が欲しい?」
言われてもデュオはありもしない尻尾を大きく振ってヒイロを見上げ続ける。それからわざとらしく『う〜〜〜〜〜〜〜んっどうしよっかなっ』とか悩んで見せると最初から決まっていた言葉を吐いた。
「俺こそ感謝してーよ」
デュオは子犬のような瞳で全身から喜びをあふれ出して言う。
「もう、俺から抱きしめてちゅーしたいくらい」
サイコーだよ、とデュオは笑った。
でもそれでヒイロの気がすむわけはない。
「………」
じっとデュオを見てくいと指を上に指し示す。立てと言うらしい。デュオは素直に立ち上がりヒイロに近づいた。この隙に抱きしめちゃおうかなという下心を持って。
「……?」
しかし、近づけばヒイロの顔は真剣でデュオも少しだけ真面目な顔をした。
「………」
ゆっくりと立ち上がりヒイロの両腕がデュオの肩まで上がってくる。それは腕と肩のつなぎ目辺りを通り過ぎて背中へと回った。柔らかく自分の後ろで組まれた手は自然と言うにはぎこちなかったが強制ではなくデュオの身体を引き寄せる。
「……ヒィ…」
なに?
言葉の前に顔が近づいて息がかかってヒイロの目が伏せられて唇が触れ合う。優しいキスの後、鼻がぶつかるほどの距離で彼は一瞬だけデュオを見るが、もう一度、二度と触れるだけのキスを繰り返した。
「………」
今度の沈黙は敢えて言うならデュオのもの。
ヒイロは満足そうにデュオの肩に額を乗せて懐いている。
「……ヒィロ…?」
デュオの困惑した声を聞いてますますヒイロは嬉しくなった。彼を驚かさないように顔を上げて頬にもキスをする。
「お前が生まれて、今ここにいることを感謝する」
ヒイロはデュオが喜ぶ顔なんて腐るほどあるから驚く顔の方が面白いかもしれないと考えた。
「…………キ、ダ」
最後の一言は別にちゃんと言わなくてはいけないなと思うのでこっそりと。
デュオはおしゃべりを忘れたように押し黙ってヒイロの顔を見つめ続けた。
「サンキュ……」
表情を隠すようにデュオもヒイロの肩に頭を乗せる。
「俺も生きてて結構良かったかも」
身体を預けられてヒイロはデュオの体重を支えながら丁寧に頭を撫でた。音も無く物も無かったけれど世界中が幸せに満ちている気がした。
(軽い機械音)
「デュオへ。
誕生日おめでとう。
君のためにプライベートビーチを作ったよ。とても素敵なところだから是非遊びにきてね。チケットを送ります。何でも買ってあげるから身一つで飛んできて。待ってるよ」
一時間後。
デュオの部屋にはヒイロだけが立っていたのは言うまでもない。
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